<山城祥二氏との出会い>
1972年、照明家 山形多聞氏の紹介で山城祥二氏と仕事することになりました。最初は杉並公会堂での「恐山」「ブルガリアンポリフォニー」のコンサートだったと思います。SRを使用するのは「恐山」のみで他はNo SRでした。「恐山」は50人の合唱とロックバンドを融合させたものです。サウンドチェックはバンドから入ったわけですが、バンド演奏は山城組組員で演奏技量が高くないので、音を作ることに大変苦労した記憶があります。次に「ブルガリアンポリフォニー」のサウンドチェックになりましたがNo SRの為、私はお休みとなり見学していました。
この時の山城祥二氏の合唱隊への指示に私は釘付けにされました。まず合唱隊のステージ配列は下記の図で、合唱中の指揮者はいません。
「テナーの○○、ソプラノの音が聞こえるか?」
「ちょっと聞こえにくいです」
「○○、立ち位置を半歩上手へ移動しろ」
「アルトパート全員半歩前へ移動しろ」
・・・・・・・・・・
等々の指示に従う合唱隊。
歌い手が立ち位置をずらすたびに、客席への合唱音も良くなっていくのです。また指揮者がいない訳ですから、他のパートが聞こえないと歌えないという状態も改善されていくのです。
この1時間のサウンドチェックの間に「音響という仕事は電気音響が無ければ成り立たない」と思っていた(のぼせ上がっていた)自分の価値観がガラガラと崩れ落ちました。当然「恐山」のSRに関しても再考の必要性を迫られました。実際にはその日の「恐山」の本番には間に合いませんでした。この時初めて「音響とは何か?」という命題の解決糸口を見いだせたような気がします。
私の舞台音響に対する考え方の基礎は山城祥二氏にあるといえます。